
今週、母の後を追うように父も息を引き取りました。
母と離婚して大阪で一人暮らしをしていた父は骨折で入院して療養中でした。
今月始めの母の四十九日の帰りに会った時は、死ぬなんて考えられないほど元気な姿で言葉を交わし、「また来るよ」と言って病室を後にしたのが最後でした。
本当に突然でした。
風邪を拗らせたようです。
ここ1年くらいは以前に比べ連絡するようにはなってたけど、やはり心細く寂しい生活をしてたと思います。
一人暮らしの部屋にあったという石川啄木の詩集には付箋が貼ってあった。
そのページには「老人」という詩が載っていた。
父はどういう心境でどんな思いでこの詩を読んでいたのか・・・・
ノンキで楽天的でお気楽な性格の父だと思っていたけど、それは一面だけだったのかもしれません。
もっと色々話をしたかった・・・・
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老 人
ひえわたる小暗き隅に開かざる小さき房あり。
骨立ちて、眼凹みし老人ぞ一人坐れる。
昏々と、あはれ、日も夜も身動がず、半ば眠れり。
慵きは、朝な夕なの濁りたる低き咳嗽。
時ありて何かつぶつぶ咳やきつ、寒き笑ひを
頬にうかぺ、かりり、かりりと一片の骨を噛むなり。
あさましく、かりり、かりりと、あはれ、そはすでに幾年
わが胸に死にて横ふ初戀の人の白骨。
時ありて、わななく指を折りふせて何か數へぬ。
或時は我にそむける友人を。また或時は、
温かき手とり別れしなつかしき人の思出。
はた、一人のがれ出でにし故郷の遠き路程。
時ありて、我に言ふらく、『何かある、大空を見よ。』
われ答ふ、『何ものもなし。』
『げにさなり、虚し。』と笑ふ。